松井 大輔
株式会社ゼロック 代表取締役 監修
目次
飲料水や洗濯、入浴など私たちの生活の身近にあり、農業や工業などの産業においても欠かせない水。
しかし人間の活動による影響を受けやすく、これまでも汚染や渇水、流域の生態系喪失など環境問題が起きています。
とりわけ淡水については私たちの生活の場にも近いために影響を受けやすく、世界各地で水の使いすぎや汚染物質の廃水による問題が起きています。
こうした水問題について、近年話題となっている定義がウォーターフットプリントです。
ウォーターフットプリントの定義と背景
まずはウォーターフットプリントについて定義と登場した背景をお伝えします。
似たような言葉としてバーチャルウォーター、カーボンフットプリントというものもなるため、これらの違いについてもお伝えします。
ウォーターフットプリントとは何か?
「ウォーターフットプリント」とは、ある商品やサービスを生産・提供するために消費され、汚染された水の量(m3)を、サプライチェーンの全体での測定する指標です。UNESCO-IHEに在籍していた研究者Arjen Hoekstra教授により、2002年に考案されました。
この評価により、水の汚染や枯渇によるリスクの大きさやある地点の水資源の依存度などを調べたり、輸入国が消費している製品が世界各地の水環境にどのような負荷を与えているのかを把握することができるようにしています、。
背景:深刻化する世界の水問題
「ウォーターフットプリント」という概念が広まった背景としては、世界における水問題の深刻化が進んだことにあります。
20世紀以降の世界人口の増加やそれに伴う農業・工業の急拡大は水、とりわけ塩分を含まない河川や湿地、地下水などの淡水の過剰利用や有害物質の排出による水質汚染、自然環境の喪失による生態系の破壊などの深刻な環境破壊を招きました。
また気候変動による洪水の問題も激化し、日本を含め多くの国で被害が出ています。
事実国連の「World Water Development Report 2019」によれば1995年から2015年の間に渇水は11億人が影響を受け2万2000人の死者と1,000億米ドルの損害を、洪水は23億人の被災者、15万7,000人の犠牲者と6,620億米ドルの損害を出していて、その深刻さがわかります。
これらの問題は1国・1地域の問題にとどまらず、水流により上流域の汚染が下流域の国・地域に影響を与えたり、国際貿易により消費国が生産国の水環境に影響を与える場合も目立つようになりました。
これらのことからさまざまな製品に使われる水の利用状況について生産から消費・再利用に至るまで詳しく管理する必要があるという考えが生まれ、「ウォーターフットプリント」が提唱されるようになりました。
バーチャルウォーターとの違い
水の利用については「ウォーターフットプリント」の他に、「バーチャルウォーター(仮想水)」という指標もあります。
「バーチャルウォーター」はロンドン大学のジョン・アンソニー・アラン教授によって提唱された概念で、輸入食料を自国で生産した場合に必要になる推定の水の量を表します。
例えば牛肉の生産においては牛の飲み水や飼料の原料となる干草やトウモロコシなどの生産に必要な水など多くの水を必要としています。そのため、牛肉の輸入国は輸出国から牛肉と同時に生産に使われた水資源も輸入していると考え、その輸入された水の量を可視化する考え方が「バーチャルウォーター」となります。
食料輸入国がいかに他の国の水の量を使用しているかということを表す指標として、「ウォーターフットプリント」と並んでよく使われています。
ただし「バーチャルウォーター」の対象は輸入された食料の生産を対象にしている指標のため、製品ライフサイクル全体を対象にする「ウォーターフットプリント」とは着目している点が大きく異なります。
そのため、食料輸入や水資源を巡る報道でこの2つの用語が出たときは定義の違いを抑えて、内容を理解するようにしてください。
カーボンフットプリントとの違い
また言葉が似ている「カーボンフットプリント」についても近年注目をされるようになっています。
どちらも商品やサービスの原材料の生産から加工、消費、リサイクルに至るまでの製品ライフサイクルにおける汚染量を調べ、私たちの日々の生活や企業活動がいかに環境に悪影響を与えているのかを定量的に測定することを目的にしている点で共通しています。
ただ測定する対象が異なり、ウォーターフットプリントが汚染された水の量であるのに対し、カーボンフットプリントは二酸化炭素の排出量となります。
なお、カーボンフットプリントについての詳しい説明はこちらの記事に詳しく記載しています。
ウォーターフットプリントの3つの種類
オランダに拠点のあるNPO・ウォーターフットプリントネットワーク(WFN)では、水の使用方法や発生源別にグリーン、ブルー、グレーの3種類のウォーターフットプリントを定義しています。
それぞれについて簡単に説明します。
グリーンウォーター(天水)
グリーンウォーターは雨水や雪解け水、植物や地中からの蒸発散量、植物中に蓄えられた水など、河川や湖沼などの地表水や地下水を除いた自然界で利用される水を表されます。
グリーンウォーターフットプリントは商品やサービスを生産するために使用されたこれら自然界にある水の量を指し、農産物や畜産物の餌となる穀物、放牧地の草などが利用した雨水の量などが当てはまります。
ブルーウォーター(灌漑用水)
ブルーウォーターは地表水(湖・河川など)や地下水、灌漑用水のことを表し、ブルーウォーターフットプリントは商品やサービスを生産するのに必要なそれらの水の量を指します。
農業生産を例にすると、農産物(家畜が消費する穀物を含む)が取り込んで蒸散した地下水や地表水の量、家畜が直接消費した水の量などが当てはまります。
グレーウォーター(廃水)
グレーウォーターは農産生産における農薬や肥料、鉱業や工業の副産物などにより汚染された水のことで、グレーウォーターフットプリントは汚染された水を一定水準まで回復するのに必要な希釈用の水の量を表します。
ウォーターフットプリントの算出方法
ウォーターフットプリントの算出には、以下2種類の方法があります。
- インベントリ分析法:特定の製品・サービスの生産・消費に使う水の使用量を、種類・使用場所・使用期間などから算出する方法
- 影響評価法:インベントリ分析法で算出した水の使用量を、水資源枯渇や水質汚染の影響に換算する方法
どちらの方法を取るにしても算出に必要な情報を揃えてから、計算を行うという点では共通しています。
その方法について以下にお伝えします。
必要な情報を揃える
まずは前章でお伝えしたブルー(地表水や地下水)、グリーン(降水など自然界に存在する水)、グレー(使用後に汚染された水)のウォーターフットプリントの3つの要素ごとに、以下の情報を分析する必要があります。
- 水の使用量
- 水の排出量
- 環境への影響
これらの情報が正確かつ十分でないと、ウォーターフットプリントを正しく測定できないため、慎重に行うようにしてください。
水源の重要度を考慮して集計した水の使用量を加重平均する
水の種類別で、製品・サービスのライフサイクルごとの水使用量を集計し終えた後には、それぞれの水源がどの程度水の汚染や水不足などのリスクにさらされているか・どの程度生活に重要なのかを考える必要があります。
そしてそれぞれの水源の重要度に応じて集計した水の使用量に重みをつけ、重みをつけた水の使用量を加算します。
そして加算した水の使用量を、それぞれの水源使用量の合計で割ることで、それぞれの値の重要度を考慮した加重平均の水の使用量を求めることができます。
この値が大きな水源ほど、水汚染・不測のリスクを受けやすく、かつ人々にとって重要なものであることが判明するため、政策を行う際に重要視する必要があります。
加重平均した水の使用量を、製品・サービスの単位あたりの量に換算する
続いて以下の式を用いて、加重平均した水の使用量を製品・サービスあたりの量に換算してください。
ウォーターフットプリント(1単位)=水の総使用量(m3)/ 製品・サービスの生産量・消費量(個・kgなど)
これにより1単位あたりのウォーターフットプリントを計算することができます。
私たちの生活が世界の水資源に与える影響
普段蛇口をひねれば水道水が出てくる生活をしている我々日本人からすると水不足というのは遠い問題のように写るかもしれません。
しかしウォーターフットプリントという概念を捉えて考えると、実は生活の身近なところで大きな影響を与えていることがわかります。
以下に代表的な事例を簡単にまとめていますのでご参考いただけますと幸いです。
事例1:織物(テキスタイル)
世界自然保護基金(WWF)の日本支部が、日本のウォーターフットプリントを調べた時に高い比率を示す産業が、洋服などの織物(テキスタイル)産業です。
織物(テキスタイル)産業は原材料である綿花や羊毛、絹などの生産や繊維の脱色、プリンティングなど水を利用する過程を多く含んでいるため、生産ライフサイクルにおけるウォーターフットプリントの使用量が多くなりがちです。
特に綿花はブルーウォーターである灌漑用水を多く利用することで知られ、農作物や畜産物よりも大きな影響力を持っていることがWWFの調査により明らかになっています。
世界資源研究所の調査によれば、綿花生産については生産量の半分以上にあたる57%が渇水リスクの高いエリアで栽培されており、その割合も小麦(43%)、トウモロコシ(35%)など他の植物に比べて高い割合になっています。
実際、かつて世界第4位の大きさを誇りながらもわずか半世紀で10分の1の大きさまで干上がり、周辺地域の漁業の壊滅や砂による健康被害などをもたらしたアラル海の縮小は、周辺の乾燥地帯に綿花を栽培させるために行った無謀な灌漑陽水の利用で河川からの流入が大幅に減ってしまったことが原因でした。
また原料を繊維やその製品に加工する過程においても多くの水を必要としており、特に生地の染色や仕上げの工程は世界中で発生する水質汚染の約20%を占めると推計される(世界銀行の調査結果)など、大きく問題視されています。
これらの問題は、織物(テキスタイル)産業におけるウォーターフットプリントへの考慮がいかに大事であるかを後世に伝える事例となっています。
事例2:牛肉
また畜産もWWFが日本のウォーターフットプリントを調べる際に高いと判断している産業です。
その中でも特にウォーターフットプリントが大きくなるのが牛肉です。
牛は他の家畜に比べて体格が大きく成長に長い期間が要するので、水を飲む量や餌を食べる量が多く、その分飼育から加工に至る水の使用量も多くなります。
実際アニマルライツセンターの公式ページに掲載されている牛肉1kgのウォーターフットプリントは約15,415リットルと、豚肉(約5,988リットル)や鶏肉(約4,325リットル)に比べてかなり多くなっています。
牛肉はCO2やメタンの生産のために地球温暖化を引き起こしているという指摘もありますが、このように多量の水が必要なことも環境リスクにおける問題として注目されています。
事例3:アボカド
畜産に比べて水の使用量が多いと言われることが少ない野菜や果物の生産についても、実は多くの水が利用されています。
その中でもウォーターフットプリントが大きいと言われるのがアボカドです。
アボカドは豊富な脂肪分やビタミン類を含む栄養価の高さから健康志向の高まりに合わせて近年注目を集め、世界的なブームとなっています。
しかしアボカド生産には莫大な水の量が必要となり、ニューズウィークにて報道された記事によれば1トンのアボカド栽培に必要な水の量は1,8000立方メートルの水が必要とされています。
この数値はバナナ(1トンあたり790立方メートル)の2倍以上、オレンジ(1トンあたり560立方メートル)の3倍以上、スイカ(1トンあたり235立方メートル)の7倍以上という数字で、全ての農作物の中でも高い水準となっています。
上記の値が掲載されたニューズウィークの記事では、アボカド産出国における深刻な水不足の問題が報道されており、チリの一大産地ペルトカでは2019年に水不足に対する非常事態宣言が出るまでになっています。
また一大産地であるメキシコ中西部ウルアバンでは、地中の水分が過剰なアボカド栽培により失われたことで、地層に空洞ができて地震が起きているのではないかという問題も指摘されています。
世界的にも高い日本のウォーターフットプリント
上記の例は海外を含めた事例であるため、実感が湧きにくいものかもしれません。
しかし日本は食料や衣料品の多くの輸入品に頼る国であるため、ウォーターフットプリントの量は莫大になり、WWFの試算によれば、日本で2018年に消費された主要輸入農産物の生産により40,493百万m3のグリーンウォーターと1,974百万m3のブルーウォーターが使用されています。
古いデータになりますが、参考までに1995年から2005年にかけてのバーチャルウォーターの輸入量については日本が世界でも9番目に多い数値となっているため、日本のウォーターフットプリントの量は世界的に見てもかなり多いと考えられます。
そのため日本国内だけでなく輸入先の国と商品・サービスの生産や提供方法などを協力して改善し、ウォーターフットプリンを削減していく必要があります。
また自国生産の力を高め輸入に頼らない体制を作ることも、自国でウォーターフットプリントを発生させない上で重要です。
ウォーターフットプリントを減らす取組事例
今まで見てきたように、ウォーターフットプリントについては私たちの生活も大きな影響を与えてしまうものになるため、減らすための対策が求められています。
実際世界各国で水問題には強い関心が向けられており、多くの組織や学会がウォーターフットプリント削減に向けて動き出しています。
その例を一部ご紹介します。
国際規格:ISO14046の確立
まずは国際機関の取り組みの一例として、国際標準化機構(ISO)の取り組みが挙げられます。
同機構は2014年、ウォーターフットプリントに関する規格であるISO14046を発行開始しました。
この背景としては、「算出結果に関する信頼性の確保」、「複数のイニシアティブによる算出手法乱立の防止」、「水の評価が難しい従来のISO(ISO14040、ISO14044)に代替する手法の確立」などの観点が挙げられており、世界的なウォーターフットプリントへの関心の高まりが反映されています。
工業分野:淡水使用量の削減や水汚染改善策の進展
工業分野においては早くから淡水使用量の削減や水汚染改善に向けた取り組みが各産業で進んでいます。
前述した日本のウォーターフットプリントの中で占める割合が高い織物(テキスタイル)分野を例にすると、主産地の中国ではWWFによって「ウォータースチュワードシップ」に即した取り組みや、水資源保全を含む工場ごとに環境対策への取り組みを把握できる「工場環境負荷診断ツール」の提供がなされるなど、水環境保全に向けた取り組みが進んでいます。
この取り組みには日本企業からの参画もあり、持続的な水利用とアパレル産業を目指して動いています。(参考記事)
食品:水の利用を抑えた代替食品の開発
環境負荷の大きな問題になっている食品生産においても、水の利用を抑えた代替食品の開発が進みつつあります。
食肉分野ではエンドウ豆などを原料にした、牛肉の代替食品を開発する企業が次々と登場しており、本物そっくりの味覚を実現しつつウォーターフットプリントをはじめとする環境負荷を減らせるとして注目を集めています。中でもビヨンド・ミート(Beyond Meat)やインポッシブル・フーズ(Impossible Foods)は大手企業との提携でも注目を集め、一部スーパーなどで購入できるほどに普及するようになっています。
また2022年7月にはイギリスの研究からそら豆・ヘーゼルナッツ・りんご・菜種油を主原料とするアボカドの代替食品「Ecovado(エコバド)」が開発されるなど、食肉以外のウォーターフットプリントが高い食品についても代替食品の開発が世界中で進められ、話題を呼んでいます。(参考記事)
日本でも始まった水資源保護対策の事例
諸外国に比べて遅れがちではあるものの、日本においてもウォーターフットプリント削減や水資源保護対策に向けた取り組みは始まっています。
環境省は2014年より国内外の算出方法や国内企業による算出事例を取りまとめたウォーターフットプリント算出事例集を公表し、日本の事業者にとって取り組みやすくする取り組みを始めています。
また日本国内においては水資源保全のほか水害対策と合わせた取り組みも存在します。
一例としてWWFジャパンでは希少な生態系の残る九州の有明海沿岸の水田地帯において、九州大学・長崎大学と共同で、生態系の保全と減災の両立を目指した研究を2020年より開始しています。(参考記事)
この研究では水田地帯で自然素材を使った護岸整備を行う、豪雨時に湧水地として水田を冠水させるなどの取り組みを行うことで、改修によって失われがちな河川の生態系とバランスをとりながらの災害対策を目指しています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ウォーターフットプリントは、水問題があまりクローズアップされない日本国内においては身近とは言えないものではあるものの、実は普段の生活や企業活動からかなり密接に関わっている問題と言えます。
そのため普段の活動がいかに水問題に関わっているのか、を考えて施策を講じる必要があります。
特により水問題への関心が強い海外向けにビジネスを行う場合などには注目するべき問題と言えるでしょう。